[ワールドリポート] 移民キャラバンの誕生

[ワールドリポート] 移民キャラバンの誕生
中米史上最大規模の「キャラバン」と呼ばれた移民集団がようやく目的地に辿り着いた。14日(現地時間)、米国と国境を接するメキシコ北西部ティフアナに350人の移民希望者が到着した。350人は中米のホンジュラスから一ヶ月に渡ってメキシコを北上した、約3600キロメートルを移動した移民集団「キャラバン」の先頭グループ。一時7000人規模まで増えた移民行列の本陣は、現在5000人前後に減ったものの、近いうちに米国の国境に到着する予定だ。
中米の人々が米国やメキシコに行くために北上したのは今回が初めてではない。中央アメリカでは、特にいわゆる「北方三角地帯」と呼ばれるグアテマラ、ホンジュラス、エルサルバドルの国民は貧困や内戦などで1980年代からメキシコや米国に避難してきた。避難する人々は移動中に強盗や殺人のような凶悪犯罪にさらされ、これを防ぐために集団で移動したりした。米移民政策研究所によると、ホンジュラスからの避難者らが初めて「キャラバン」という集団をなして移動した。時期は1990年代後半と推定されている。
キャラバンは2000年代初めまで大きく注目されなかった。それが、2013年にキャラバンに参加して行方不明となった息子のお母さんたちがデモを行い、キャラバンの存在が世に知られるようになった。そんな中、2000年代初めに創設された中米移民人権団体「プエブロ・シン・フロンテラス(国境なき人々)」は、移民者の安全な移動のためにキャラバンを組織する運動を開始。2017年3月のイースター(復活祭)週間に合わせて初のキャラバンを主導し、米国に向かわせた。当時集まった人は約200人で、最終的にティフアナに到着して米国に難民申請書を提出したのは80人にも至らなかったという。
国境なき人々は今年3月に2次キャラバンを発足し、約1500人が米国へ出発した。その中約300人がティフアナにまできて、約200人が難民申請をした。最終的に難民の地位を認められた移民者はわずか3人で、残りはほとんど拘禁か追放された。中間選挙を控えて反移民政策を強調していたトランプ米大統領はキャラバンを争点化した。トランプ米大統領はツイッターを通じて「粗末な移民法がこのような行列を作った」という内容を投稿し続け、政治的に利用。以後キャラバンは瞬く間に世界的な関心を受けた。
今回ティフアナに到着したキャラバンは、国境なき人々が組織したものではない。米メディアによると、今回のキャラバンを初めて提案した人は、ホンジュラスの左派政党リブレ所属のバルトロ・フエンテス前議員で、同氏は10月4日にフェイスブックを介して「移民行進」というイベントを推進した。その結果、同月12日にホンジュラス北部のサンペドロスラのバスターミナルに移民希望者と社会運動家など約200人が集まって行進を開始。3日後にグアテマラ国境を超えるときはキャラバンの規模が2000人にのぼり、メキシコ南部の国境からは4000人に増えた。
現在キャラバンのほとんどはホンジュラスの国民で構成されている。2009年のクーデター以来急速に破綻したホンジュラスは、人口の3分の2が貧困状態に陥っており、労働者の80%の収入は最低賃金以下だ。特に農村地域では、今年深刻な干ばつで食糧難まで発生した。米ピューリサーチセンターによると、2010年に49万人がホンジュラスを離れ、昨年は60万人以上が故郷を去ったという。
サンペドロスラで家政婦として働いた19歳の移民者は米メディアとのインタビューでキャラバンに参加した理由について「私は仕事があるが、ここでは成長する機会がない。また、家族の生計も助けなければならないが、今年は特に収穫が全くなかった」と説明した。また「一緒に集まって移動すると、より安くて安全だ」とし「移住は私にとってチャンスだ」と強調した。