河基錫(ハ・ギソク)氏の歩みを辿ると、単なる一企業人の物語を超え、「人はどのように成長し、どのように舞台を広げていくのか」という普遍的な問いに行き着く。彼の人生は常に問いから始まった。教員だった父は毎晩必ず家族と食卓を囲み、「今日は何をしたのか」と尋ねた。その小さな習慣が、自己を振り返り説明する力を育み、後の学問と仕事の基盤となった。
外交官を目指し延世大学政治外交学科に進学したが、1988年の韓国キャンパスは民主化の熱気に包まれ、理想よりも混乱が先に立った。そんな彼に転機を与えたのは映画『いまを生きる』だった。アメリカの自由なキャンパス文化に衝撃を受けた彼は即座に交換留学を志願し、テネシー州メリービル大学に渡った。そこで日本人留学生と出会い、日本語と日本文化への関心を深め、大学院では日本学を専攻。1996年には立教大学で現代日本を直接学んだ。
1998年、IMF危機の最中に思いがけず入社したのがドンウォンだった。食品業界は未知の領域だったが、海苔やツナ缶の輸出を担いながら営業、物流、マーケティング、デザインまで現場で体得した。2004~2005年の札幌駐在では試食会を通じて消費者と直に向き合い、「信頼こそが最大の資産である」と学んだ。
2010年、資本金2,000万円、数人の社員で東遠(ドンウォン)ジャパンを法人化したが、7年間は赤字続きだった。創業者の金在哲名誉会長から厳しい叱責を受け、彼は腹を括った。営業から会計、物流、デザインまで自ら担い、2018年についに黒字化。さらにコロナ禍ではラポッキがコストコで爆発的に売れ、売上は飛躍した。
「コンセプトのない味は存在しない」というのが彼の信念である。ラポッキは文字や説明書、調理体験まで細かく設計し、単なる食品ではなく文化体験として広めた。コチュツナは15年をかけて市場に根付かせ、マルハニチロとのコラボ商品へと発展。ヤンバン海苔は20年以上消費者と歩みを共にし、価格高騰時にも無理な値上げを避け、信頼を積み重ねた。
社員育成にもその姿勢は表れる。わずか5人前後の組織だが、新入社員にも大型イベントやSNS運営を任せ、失敗をも経験として評価する。「肩書きではなく、何をしたか。それが市場価値を決める」と彼は言う。

ブランドを商品ではなく文化として捉える視点も際立つ。BTSジンの「Super Tuna」を活用した限定版戦略、新宿の3D猫広告、Instagramでの消費者との直接対話。さらに全国の高校でのキンパ体験やK-POPコンテスト支援を通じて、若い世代が韓国文化と出会う場を広げている。「政治が冷えても、子どもの手は温かい。韓日関係は生活でつながっている」と彼は語る。
最後に彼は若い世代にこう呼びかける。「失敗を恐れず挑戦しなさい。会社は舞台を与えてくれます。その舞台で踊った時間こそがポートフォリオになります。肩書きを追うのではなく、達成を追ってください。」
河基錫氏の物語は、失敗を資産に変え、現場を舞台に挑み続ける記録である。そして彼は今もなお新しい舞台で踊り続けている。

ソン ウォンソ (Ph.D.)













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